九州地方本部理事候補 JA6BXA 河喜多 勝


マニュフェスト

JARL理事選への私の想い

 私もつい最近までは、ただのJARL会員、WEBの情報でJARLが大変になってる 位のことしか知りませんでした。受け身というかQSL転送に必要な組織との認識でした。 しかし草野さん(JA1ELY)やローカルからの電話で、理事選に立候補しないかとの お誘い『あなたしかいない』の殺し文句に押されて出馬を決意した次第です。

 それからが大変、大勉強の始まりです。DXミーティングのお世話や話をしたことは何 度もありましたが、JARLの中に入るなんて考えもしませんでした。

 “改革”という言葉が飛び交ってますが、今本当にどんなになってるのかです。調べれ ば調べるほど大変な状況になってるということです。

 原体制(私は、古株理事達と呼んでます)による40年もの長期にわたるJARL運営 がもたらした財政悪化(大赤字)、会員減にもかかわらず組織の硬直化による人件費の増 加等々です。一般の会社だったらとうに倒産しています。

 さらに、何の責任も取らずに後釜も古株理事達で固め、遅々として進まない改革。この ままでは、泥舟に乗って沈みかねないJARLになってしまいます。いや、今や半分以上 沈みかけてます。何とか早急に溜まった水(古株理事達)をかき出して、水漏れの修理を し漕ぎ出さねばなりません。

 こんな思いで九州地方区域理事候補に立候補しました。自分達の責任を棚に上げ、新人 に何が出来るか?と言う古株理事やそのお友達もいますが本当に無責任です。こんな人達 にもうJARLは任せられません。

 何とか今回の理事選で真の改革派『象さんグループ』で過半数の理事をとり皆さんと一 緒に新しいJARLを作ろうではありませんか。

わたしのBCL・アマチュア無線歴

・ 小5よりBCL(JSWC会員)を始め、国内・外の放送局のべリカード収集。
・ 中2の時通学途中にある某高校の文化祭に立ち寄り、始めてアマチュア無線に遭遇。
・ S36年、中3で電話級免許取得。HFは807、VHFは2E26ファイナルで10Wで開局。
 その後電信級合格でA1(電信)にのめりこむ。後2アマ免許になり100Wに増力。
 高校時代にDXCCを完成。大学では無線部(JA6YCU)を設立してコンテストとJCCサービスに活躍。
・ 学校卒業後埼玉の電子工場に就職。7年余り電子回路の設計に従事。無線はできず。
・ 無線をしたいがため福岡に帰り、S52年(31歳)で無線再開。1アマ合格後500Wに変更。
・ H4年1kW解禁後はすぐ変更検査を受けたが、やはり仕事がQRLで無線はできず。
・ 60過ぎてやっと本格再開、現在に至ってます。とにかく無線したさに元気に頑張ってきました。

ギャラリー


全て自作の高校時代のシャックです。


全て自作の高校時代。


今の当局のアンテナです。7MHzの3エレと21/28MHzの8エレ。